カクレミノ

前に書いた島田紳助氏の件でもそうだが、自分は(その妥当性はさておいても)ステロタイプな被害者が嫌いだ。本物の被害者とその類型に逃げ込むことで無責任に優しい他者の憐憫を誘うニセ被害者を判定する決定的な方法がないから。たぶんその人自身も分かってなかったり、両方の要素が混じり合うこともあるだろう。ともあれ、そのような事象がニセ被害者にとって格好の隠れ蓑になることに変わりはない。
しかし、このような感情を持つに至った原体験のようなものを自分は思い出すことができない。この感情が自分にとてつもなく不利に働くことも知っている。それでも律しがたいほどの怒りが込み上げる時があり、恋人でも妻でも自分はそんな状況に出会うと感情を荒げてしまう。